様々なものが自粛ムードに駆られる中で、
それでも日常の大事な部分は、
続けていかないと、と思うわけで。
広告は、まず人のために。
実際に自分が広告を志すことになったきっかけを頂いた、
いわば生みの師が作ったサイト。
なんとか『がんばれ』という言葉を使わずに
被災地の方々と、元気になっていけないものかと思う。
個人的な話、大学3年時、
川崎を出発して岩手県遠野まで冬3週間、
ひたすら歩いて旅をしたことがある。
本当に多くの方にお世話になり、
福島の警察の方にはとある出来事で激励を頂いたり
岩手花巻近くの地域物産館でリンゴとお茶をごちそうになったこともあった。
そこのおばちゃんであったり、
旅路の途中で名前も名乗らずに自分が食べるはずであっただろう
マックのバーガーやスープの差し入れを自分なんかにくださった男性だったり、、
東北の旅でお世話になった方々あって、現在の自分がある。
泣きもしたし、挫けもした。お腹いっぱい笑わせてもらった。
自分の中で歩いて旅をしたなかでは最も長い道のりだった。
おこがましいながら、お世話になった人々を含めて、自分にとっての第2の故郷。
気仙沼で働く友人や
青森で被災した友人もいる。
届けられるのが
現在、電力かお金か必要時すぐの献血、言葉ぐらいなのであれば
独りよがりでもただの自己満足でもなく
自分になにができるのかということをただ考え、考える。
トーン&マナーが難しい。
この投稿文のなかにある、
3月18日分の福島出身モモさんの声もごもっともだ。
この世相下、すぐ「不謹慎だ」という声が上がる。
それは間違っていない。
ただ、正解は何通りもあるはずなのだ。
不謹慎をずっと怖がっていても何も、始まらない。
怒られ、なにをやってるんだ、と批判を受けることを恐れていられない。
何か、何か助けになりたくて仕方ない気持ちだけなのである。
ミュージシャンを集めてチャリティーを目的としたライブをなさるような
T.M.R.西川貴教氏や、
「まず福島に」エールを込めた曲を作り、
得た金額を100%送るとしている猪苗代湖ズなど、
様々な動きも出て来ている。
被災地においてなにが必要なのかは誰もが考える中、
実際に動いているかどうかである。
福島は今後、先述のモモさんが指摘するように風評被害も大いに考えられる。
ただこのページで営利が目的である広告をとりあげない
「自粛モード」を続けるのもきっとよくないと思い始めている。
今も余震の、原発の恐怖に震えながら日々を過ごす方々と
元気になっていけるようなニホンの、世界のエネルギーがこもった広告を、
発信をしていきたい。
批判は、生きていたらどこかしら
なにかしらで受けるものである。
人の価値観は多種多様である。
叱って頂けるなら幸いこの上ない。
この空の下、
まず動き続けること。
微力だからどうとかじゃない、
動き続けること。