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  • 2015.04.20 Monday
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  • by スポンサードリンク

川上未映子。

川上未映子をご存知だろうか。

テレビ、最近の時事を見聞きしているひとなら、
大概は知っているはずの、芥川賞受賞の女性シンガー兼作家だ。

きょうトークショウがあって青山ブックセンター(ABC)に行ってきた。

ほんと、いい感じの逸材がまたようやく出てきたんだな〜とか、
変に感心した。

批評家兼編集者でもある、前田塁氏との対談であったが、
川上氏がリードを保った形で(笑)、
トークショウは終了。

川上氏は、きれいだったよ。
そしてなにより華があった。惹き付ける華。

ま、そんなことはひとまずどうでもよく、
いくつか印象的なことばを残してくれたのを憶えている。



仮に。

いままとまったお金、
たとえば500万円あったとしたら。

何に使う?

100万円、1000万円ではなく、よりリアルな数字だとは思う。


このお金で、
私欲を満たすための物品を手に入れるのもひとつ。

引っ越しするのもひとつ。

CM、プロモーションを打つのもひとつ。

寄付はやるべきではないかな。使い途が不透明やし。

ただ、ぽんと500万手に入ったときに、
どこに矛を向けるかで、
そのひとの価値みたいなものも決まるかな、なんて思ったりもする。


さて、マイ課題としている、この前振り。

課題は、500万の皮算用ではない。

500万をあげることに関しての、広告。

500万あげるから、それ「全額」、
『気持ちよく』世の中のために使ってもらうためのプロモーション、
という中身。
500万はスポンサーから。

世の中をびっくりさせるなり、
何かしらいいベクトルをぶっさせるモノ。アイデア。
公募するためのモチベーションにするのか、
公募したアイデアを実現するための資金にするのか、軌道が必要なわけだ。

「500万あげます。」
という簡単なコピーのもとに、

「で、あなたは何をしてくれますか?」と問いかける。

前述した通り、500万なんて大したお金ではない。
夢を持てるほどではない、リアルな金額だ。

世の中の引き出しに問う。
なにが大事なんだ?と。


500万を活かすアイデアをつくる。

ブログがタダで打ち出せるこの時代。

なにが大事なのか、リアルな金額をちらつかせて、
問う。考える。

少なくとも、
ヴィトンのバッグもって、いい気になってる場合ではないはずだ。


BGM。

最高のBGM。

http://www.hirasansou.com/


比良山荘のWEBサイト。
滋賀県大津の山荘なのだが、すごく秀逸なつくりがされている。
いや、むしろ画面だけひっこめて、
「BGMという使い方」がすごく心地よかったりもする。

都会で、こうしてパソコンいじってWEBにて自然回帰する、
というなんだか矛盾のある格好がいささか滑稽でもあるが、

このサイトのシンプルで澄み切った感じに惹かれて、
知らぬ間にまたこのサイトにやってきていたりする。

山荘も、WEBの時代か。とは思うが、
こうしてフリータイムで見られる媒体を利用している者にとって、
こういう「ネオバーチャル」ともいえる感覚に直に訴えかける表現はシンプルであるから
すごくありがたい、わかっているな、
という感じがするわけだ。

近いうち、ぜひ訪ねてみたいものだ。本当の宿泊客として。


無印。

以前に書いたことがあったが、
そもそも無印ヴィレッジヴァンガードに惹かれ、
働いてみたことがあったのか。

その店づくりにすごく興味を持ったからではあった。

いま思うと、その店のトーン・マナー(このあとはトンマナとする)が、
すごく気になったんだと思う。

それは広告にしっかり表れていて。

無印良品は、かつて西友のプライベートブランドのひとつとして成り立っていたのだが、
デザイナーに、かの田中一光を迎え、
「わけあって安い」をキャッチフレーズに打ち出してからは、
本当に目を見張るほどの展開を遂げた。
いまコンセプトデザイナーのバトンが
原研哉深澤直人に代わってからも、その実に潔い在り方は、
他の追随を許さない、唯一無二の立場を保っている。
後々、原研哉氏についてもとりあげたいが、
自分の尊敬する人物のひとりでもある。

彼のことばの紡ぎは絶品であり、
それも一貫した想いから連なってくるもののようだ。
さて、無印良品。
「わけあって安い」の前に、
「『が』ではなく、『で』」
を説明すべきだろう。

ただのレトリック違いのように聞こえる後者の言い回しに、
僕はいまも心掴まれている。

簡単に申し上げると、
無印良品がよい、ではなく、無印良品でよい
ということらしい。

無印良品が目指す商品に対する顧客の満足度のレベルは
どの程度のものなのか、という問いかけをしてみたとき。

幾多のブランドが「これがいい」「これじゃなきゃいけない」というような
強い嗜好性を誘発するような方向性を目指すのであれば、無印良品は、
「逆」の方向を目指すべきだ、と。

「これ『が』いい」ではなく、「これ『で』いい」という程度の満足感を、
ユーザーに与えること。
そのとき、「で」のレベルをできるだけ高い水準に掲げることを目標に置く。

「が」は個人の意志をはっきりさせる態度の潔さが出ているといえる。
「うどんでいいです」というより、
「うどんがいいです」と答えたほうが気持ちよく、うどんにも失礼がない。

嗜好を鮮明に示す態度は、
「個性」という価値観とともに尊重されてきた一方で、
「が」は時として執着を含み、エゴイズムを生み、
不協和音を発生させていることも、いえる。

結局のところ人類は「が」で走ってきて行き詰っているのではないか。と。
消費社会も個別社会も「が」で走ってきて壁にぶつかっている。

そういう意味で、「で」の中に働いている、
「譲歩」や「一歩引いた理性」を評価すべきじゃねえかな。という指摘。

「で」の中にはあきらめや小さな不満足が含まれるかもしれないが、
「で」のレベルを上げるということは、
このあきらめや小さな不満足を「すっきり」取りはらうことだ、と。

「明晰で自信に満ちた『これでいい』を実現すること」
が、無印良品のヴィジョン。


原氏は、これを著書「デザインのデザイン」の中で語っており、
2003年、企業広告として、
400字4枚にもわたるボディコピーを添えた新聞広告を出している。

気になる方、コピーライターを目指す方、ことばを意識している方は、
ぜひバックナンバーで
広告批評「2003年12月号 277号」をお買い求めていただければと思う。
2003広告ベストテン 新聞広告部門 9位にノミネートしている。
全文字、出ている。

まさに、圧巻。
そして、無印に込められた想いを知り、無印をより好きになる(はず)。

ま、これを知ったのは、入ってずうっと後なんですけどね(笑)。
広告を意識していなかったら、きっと知らないままでした。

単純にバイトとして入ったときは「シンプル」を画に描いたような、
すっきりしたデザイン、ブランド感、プロダクトに惹かれただけなのだが。

誕生してから、ことしで28年。
無印良品は、世の中に寄り添いながら独自の価値観を求め、進化しつづける。



乗ったひとのみ味わえる「爽」。

車のweb。

http://toyota.pod.tv/voxy/


最近、まだ気になったほうなのは、
「父になろう」
このコピーが載ったVOXYである。
浅野さんには共感もてるし、この広告の言わんとしていることも理解できる。

ただあまりにも、いっしょすぎてつまらないのが
消費者側から自動車広告への率直な感想ではないだろうか。

自動車のWEB広告を見ても、ほぼまったく同じような感じで、
「全部平均している」というのが個性、とでもいうような「並び方」で、
逆に驚く。

そして、外観はよく分かったから、
もっともっと、乗り心地がわかるようなムービーを載せたらどうなんだろ、
とどのサイトを見ても思う。
せっかくフリータイムで見れるWEB、
しかも、「車の」なんかをパソコンで見ているわけである。
とあるサイトでF1コースを試乗しただけの
カンタンなムービーでさえ見入ってしまったこともあるくらいだ。

試乗感覚を持たせてくれる「積極的な」サイトがあっていいと思うのだ。
ラリーの応援サイトなんかもあるが、
実際WEBにはもっと入り込んでもらって、
ダートのすごいところを走っている感じのムービーを
遠慮なく」どんどん載せてもらいたいと思うのだ。

YouTubeがどうとか知ったことではない。
自分たちはいち消費者として見ているわけだ。
なんとなくこの胸の中で「くすぶっている」感覚
そのムービーなんかでパアッ!と、開放してほしいと思う。

そんなこと言ってみると、競馬にも同様のことはいえるかもしれなくて。
まだ「馬に乗った上からの」ムービーが配信されているものなんて見たことがない。
自分に投影させて観戦するのが競馬の醍醐味のひとつだと思うが、
もっと乗ってみた側に偏ってみてもいいと思うのだ。

かつてのTVゲーム「電車でGO!」が大ヒットしたのは、
まさにそんな盲点を見事についたからなのである。

だって、騎手になることだって、電車の運転手になることだって、
かなりの難関を越えた人しかなれないはずなんだもの。

Wiiで発売されるマリオカートは絶対にヒットする。
間違いなく。
どんだけ無茶しても、
現実には全くもって無茶にならない素敵なツールだからだ。
くすぶりを思いっきり、開放してくれるのは明らかだから。

車も、馬も、WEBには
もっと乗ったときの爽快感を味わわせてほしいと、
切に、願う。


ぐっときた言葉。

ぐっときた言葉がある。

流産してしまった奥さんにかけてあげる、

「旦那の立場から」の言葉があるとしたら、
どんなものを考える?


流産したひとに旦那から、励ませる言葉なんて、
実はそう簡単ではないことは、容易に想像がつく。

でも、はげましたい。

「自分の身をもった痛みとしてわからない」からこそ、
この一番大切なひとに言葉をかけてあげたい。


みつけたページにはこうあった。

流産後、また妊娠できたカップル。
奥さんに対して旦那。

「お前は流産した時に悲しくていっぱい泣いたんだから
次は嬉しくて泣く番だろ?
まぁ俺は嬉しくて泣く為に悲しい涙を貯金したから
お前の2倍の嬉し涙を流せるけどなー」

と笑って、抱きしめてくれたそうだ。


うん、そういうことだよな。
と、ジーンときたのを憶えている。

言い方のトーン、お互いに守ってあげたいマナーはあるにしろ、
こういう言葉のかけ方って、旦那だからできるし、

素敵やなあ、と思う。


素敵なことばを、探していくことだ。



かっこいい。

いま、かっこいいオンナといえば誰なのだろう。
夏木マリ、安室奈美恵、木村カエラあたりだろうか。

http://vidal.jp/top.html

安室奈美恵はココ最近一気に株を上げた感はある。
Baby Don't Cry」の、情感を大事に作られた楽曲が
再び彼女を押し上げる「応援」に結びついただけではなく、
ヴィダルサスーン(VS)のキャラクター起用が
絶大に功を奏していると思われる。

60年代、70年代、80年代ファッションが大々的に注目されるようになり、
これからますます磨きがかかっていく30代女性の代表の一人として、
安室奈美恵ほどピッタリくる人物もいなかったのかもしれない。

女性のほめコトバの段階は、3段階あると聞いたことがある。
かわいい、きれい、そしてかっこいい、だ。

かっこいいと言われる女性になることは、
いまやひとつのステータスになるということを、
VSのCMは語っているようにも思う。

65年春パリコレからのミニスカートに象徴される
センセーショナルなファッション云々、を語る気はさらさらなく、
文化交流が盛んになったこのころが再び注目を受けているのは
単純におもしろい傾向だと思うわけだ。

以前、ヴィレッジヴァンガード下北沢店で
70年代の広告関連の書籍を目にしたが、
コピーが引っ張るというより、
の使い分けとタレントの表情がほぼ広告を占めていたような感じがあった。

要するに、シンプルなのだ。
無駄なものをかなりそぎ落とした、潔さが前面に出ていて、
すがすがしいところがある。
いまの安室奈美恵をみたら、まさに
スッキリしているだとか、スマートであるとか、
そういう感想になるのではないか。

「かっこいい」という価値観のカタチはひとそれぞれだが、
それを分かりやすく、潔く提案できているVSなどは、
ひとつのスタンダードになりうるのだと思う。


歌うたい。

歌、それを意識することになったきっかけ。



これに勝るシンプルソングもない気がする。
結局、「愛してる」を言いたいだけなんだもの。

これを知ったのは97年、
カウントダウンTVで10何位かに入っていたPVを
たまたま目に出来たときだ。

すごいまっすぐで、
揺るがない「芯」みたいなものを楽曲から「見た」感覚に襲われた。
当時、15歳の中学生。
自分は尾崎豊ではなく斉藤和義に陶酔していた。

メッセージと音がシンプルに同居しているものを、
「歌」を意識できたのは初めてだったかもしれない。

ラジオ「ミリオンナイツ」で音楽に陶酔し、
合唱コンクールでパートリーダーなんぞになったことも多々あったが、
歌に「メッセージ」が込められていると気づいた瞬間が、
日曜日に代わったばかりの深夜のMROテレビに見入っている15歳の中に
なにかを起こしていた。

Mr.Childrenの桜井和寿氏率いるBank Bandがカバーすることで
再び話題になったりもしたが、
逆にショックでもあった。
桜井氏の曲として認識されてしまうことが
あまりに悔しいところであったからかもしれない。

曲自体は再び脚光を浴びてうれしがっているかもしれないが、
「斉藤和義の」歌うたいのバラッドしか、本物であると思ったことはない。

もう一度言う。
斉藤和義は、本物だ。


マイアンサー。

ちょうどこれが100ページ目になるらしい。

自分事ながら、ほぅといった感じだ。

とくに特別企画など用意していないのだが、
タワレコの新スローガン、ようやく提案したいと思う。

いま掲げられている
「No music,No life.」
は風とロックの箭内道彦氏を
クリエイティブディレクターに迎え、推し広げられている、
絶大なわかりやすさをもったスローガンだ。

これを切り離せるぐらいのものって、
突飛な飛びかたをしない限り、きっと無理だ。

そのぐらい王道をバシッと捉え、
英語の語彙が少ない日本人にもぴたっとくるものなのだ。


あくまで提案なので、どんどんブラッシュアップさせていきたいのだが、
ここでは2つ出す。


sea,sun,sound,music,u,i


これの趣旨はやはりスローガン、口ずさめるものがよいだろう、と。
前半は、そう、口なじみがよい現在形、過去形のようなノリだ。
uはyou、iはI だ。

musicから前の単語は全部、冠詞がいるものだ。aとかtheがつく。
つまり数えられるものとして、存在してるわけ。

でも、数えられる必要なんてあるか〜?と思うわけ。
seaもsunも1個だけど1個っていうべきじゃねえ気がするし、
あなたもわたしも常に1だけど、人間はたっくさんいる。
theとかaとか決めつけることで、
「それが」とか言いすぎているところに
この世の中の狭さ、息苦しさを感じるわけです。

「音楽が世界を変える」とか言っているひと、たまにいる。
でも、それって、「お前の音楽が」ってことでしょ?
いやいや、それはねえ、と。
ボブ・マーリーとかジョン・レノンもいて、お前がいるだろう、と。

つまり、「音楽が世界を変える」んやなくて、
「音楽で世界は変わる」
じゃないか、と思うわけです。


1つであって1つでないもの、それ大事にしてこうぜ。the とか a とか言い合わずに。
youとかIは、そんなのつけねえじゃん、ということです。peaceも数えないし。

そして、music,u,iで音楽求愛とか言ってみたりする。

込められた意味は結構あるんです。スローガンだから。

そして、もう1コのは、シンプルに、

music,u,i

です。意味は前のものとほぼ一緒。
そして音楽求愛、と言ってのける。

ちなみに前者はもう箭内氏に提案済み。
ま、どうだろうか。


こういう100ページ目になりました。


好きなCM2。

これ見てるひとがどれくらいらっしゃるかは分からないが、
これ見て いぃ表情、していきましょ。





好きなCM。
要望があったようなので、リンクではなく、YouTube画像としてのっけました。

まっすぐなメッセージが、画像とシンクロしている素敵なCM。

見たいときは、素人広告批評でみればいいじゃない。
朝、出かけるときでも、昼メシ行く前でも、夜疲れて帰ってきたあとでも。
そんなノリです。

初心ってこんなところに転がっているんです。


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