以前に書いたことがあったが、
そもそも
無印と
ヴィレッジヴァンガードに惹かれ、
働いてみたことがあったのか。
その店づくりにすごく興味を持ったからではあった。
いま思うと、その店のトーン・マナー(このあとはトンマナとする)が、
すごく気になったんだと思う。
それは広告にしっかり表れていて。
無印良品は、かつて西友のプライベートブランドのひとつとして成り立っていたのだが、
デザイナーに、かの
田中一光を迎え、
「わけあって安い」をキャッチフレーズに打ち出してからは、
本当に目を見張るほどの展開を遂げた。
いまコンセプトデザイナーのバトンが
原研哉、
深澤直人に代わってからも、その実に潔い在り方は、
他の追随を許さない、唯一無二の立場を保っている。
後々、
原研哉氏についてもとりあげたいが、
自分の尊敬する人物のひとりでもある。
彼の
ことばの紡ぎは絶品であり、
それも一貫した想いから連なってくるもののようだ。
さて、無印良品。
「わけあって安い」の前に、
「『が』ではなく、『で』」
を説明すべきだろう。
ただのレトリック違いのように聞こえる後者の言い回しに、
僕はいまも心掴まれている。
簡単に申し上げると、
無印良品がよい、ではなく、無印良品でよい。
ということらしい。
無印良品が目指す商品に対する顧客の満足度のレベルは
どの程度のものなのか、という問いかけをしてみたとき。
幾多のブランドが「これがいい」「これじゃなきゃいけない」というような
強い嗜好性を誘発するような方向性を目指すのであれば、無印良品は、
「逆」の方向を目指すべきだ、と。
「これ『が』いい」ではなく、「これ『で』いい」という程度の満足感を、
ユーザーに与えること。
そのとき
、「で」のレベルをできるだけ高い水準に掲げることを目標に置く。
「が」は個人の意志をはっきりさせる態度の潔さが出ているといえる。
「うどんでいいです」というより、
「うどんがいいです」と答えたほうが気持ちよく、うどんにも失礼がない。
嗜好を鮮明に示す態度は、
「個性」という価値観とともに尊重されてきた一方で、
「が」は時として執着を含み、エゴイズムを生み、
不協和音を発生させていることも、いえる。
結局のところ人類は
「が」で走ってきて行き詰っているのではないか。と。
消費社会も個別社会も「が」で走ってきて壁にぶつかっている。
そういう意味で、「で」の中に働いている、
「譲歩」や「一歩引いた理性」を評価すべきじゃねえかな。という指摘。
「で」の中にはあきらめや小さな不満足が含まれるかもしれないが、
「で」のレベルを上げるということは、
このあきらめや小さな不満足を
「すっきり」取りはらうことだ、と。
「明晰で自信に満ちた『これでいい』を実現すること」
が、無印良品のヴィジョン。
原氏は、これを著書「デザインのデザイン」の中で語っており、
2003年、企業広告として、
400字4枚にもわたるボディコピーを添えた新聞広告を出している。
気になる方、コピーライターを目指す方、ことばを意識している方は、
ぜひバックナンバーで
広告批評「2003年12月号 277号」をお買い求めていただければと思う。
2003広告ベストテン 新聞広告部門 9位にノミネートしている。
全文字、出ている。
まさに、圧巻。
そして、無印に込められた想いを知り、無印をより好きになる(はず)。
ま、これを知ったのは、入ってずうっと後なんですけどね(笑)。
広告を意識していなかったら、きっと知らないままでした。
単純にバイトとして入ったときは「シンプル」を画に描いたような、
すっきりしたデザイン、ブランド感、プロダクトに惹かれただけなのだが。
誕生してから、ことしで28年。
無印良品は、世の中に寄り添いながら独自の価値観を求め、進化しつづける。