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- 2015.04.20 Monday
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- by スポンサードリンク
ずっと乗ってきた自転車がついに完璧に逝ってしまった。
このブログ上で昨夏ちょっと載ったかと思う、静岡無理矢理行軍道中旅に、サンタ旅、9.11、に
同行してくれた大事な、大事な相棒であった。
「修理不可能」、とのこと。
取り外せない軸が斜めに曲がってしまっていて、もう手の施しようがないというのが理由。
いわゆる寿命というやつだ。
飲み込むのに時間がかかった。
だがしょうがない。
交通費なしで生きている人間としては、自転車を新たに買うほかは。
TOKYO BIKE もいいかなとは思いつつ。
自転車がひとに与えてくれるものはなんだろ。 とかふと考えたりもする。
2輪車であり、人力。
接地する脚が3本あれば安定はするものの、進むために2輪。
視野を広くし、4足歩行から2足歩行に進化したひとのように。
代わりになにかでバランスを保たなくてはならないのも実際のところでもあるけれど。
両方に支える要因に共通するのは、進もうとする『気持ち』だろうか。
自転車同様、ひともなにもせずピタっと立ったままではいられない。
車を飛ばす、という表現はするけれど、
自転車の場合、それは飛「ばす」ではなく、「飛ぶ」という表現に近いと勝手に判断している。
自分の力で、漕いでいるのだから。
言葉的なところだが、唯一ひとが自分で「飛べる」手段ではないか。
体感できるのは、世界の大きさ、自分のちっぽけさだろうか。
でも、それに抗いながらペダルを漕ぐ自分。
そんな構図を日常の自分と重ねながら、毎日ペダルに力を込めていたようにも思う。
実際は違うけれども、「飛ぶ」という感覚を味わえていたのも確か。
自転車には感謝するし、これからもお世話になりつづける。
140字で収まらないツイートのようにしているのも若干わざとでもある。
このツブヤキが広告につきあってくれた逝った自転車への一種の慰みにもなってくれればと
思うわけだ。
自分は自分で、また、「飛ぼう」と思う。
飛びます。