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  • 2015.04.20 Monday
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  • by スポンサードリンク

桜の時。

サクラシーズン、ようやくやってきそうだということで。


   


森山直太朗あたりからはじまった桜ソング毎年リリースラッシュの前よりも
先駆けて桜の名曲を世に放っていたのは、aikoだった気がする。

今年自分が「勝手に」フィーチャーする音楽の後半の柱のひとりは、
aikoになりそうな気がしている。

この楽曲に関しては、せっかくなので、
そろそろ桜が咲きそろい始めてくるシーズンなのであれば勝手に動画をつくりたいなとも、
思う。


aikoの最大の魅力は、
普通のミュージシャンが紡がないようなメロディーを「おいしく」紡ぎ奏でること
のように、思う。

だから、この「桜の時」という楽曲も、思わぬ角度から心にグッと届くような感覚がある。

かばん」のサビメロディーなんかもそうだろう。

twitterの最近の自分のつぶやきとからめてもらうと、なぜaikoをとりあげてみたのかも軽く勘づいてもらえるかもしれない。


しかし、最近MVばかり取り上げるばかりで、WEBや雑誌、新聞広告を取り上げていない。

素通りしてしまう広告を意識して引き止めていないからだろう。

手に取ってうれしいプロダクトであるとか、SPにはやや出会うのだが、
広告に最近後頭部のあたりを「ばちこーん」と殴られていないのも原因だろう。

TUGBOAT 10周年分の仕事総集本「TUGBOAT 10 Years」には、
「うわ、いい仕事。してはるわあ」とは思ったが、
彼らとはまた違うやり方を模索していくしかないわけだ。


桜が放つエフェドリンにやや感化されつつ、
若干興奮気味で楽しく、4月の広告に向き合えたらと思う。




もうひとつの。

いい、蒼さ。

  

ほぼ二次元的な制限をつくることで動画をつないでいった力作。

青春、などと軽く口にしたくないぐらい貴重なキラキラがたくさんつまっている。


画面的に左から右に歩いていくだけなのだが、「どうしたら面白いか」を、
中高校生のコたちが考えに考えた、
そのほんの一コマに「すぎない」ことを理解しておきたい。

彼らのこのつなぎの先のアルクアラウンドを常に期待し、
自分もこの迸るエネルギーに感心し、まんまと呑まれているバアイじゃないなと
思うばかりである。


だが、おもしろい。



ことしのサクラ。

モンマジ。マジなようです。


       

このMVには他ならぬ新しさも含まれているわけで。


今期の桜ソングはこれで、いいのではないかと思う。

ただ、このMVは「曲の」広告というより、
MONKEY MAJIKの試み、としてであるとか、彼らの「引き出し」の広告、
つまりはまだまだ面白いコトやってくよっ。という意気のようなものを
感じるためのもの、なのだろう。

なので、曲より、動画が気になって仕方ないのはしょうがないのかもしれない。


曲を純粋に、「桜のうた」として、広告してくれている動画があったので、
季節的にはこちらを、推奨しておきたい。




今年始めに胸を熱くしてくれたオリンピック、
その開催国出身でボーカルをとる彼らが、今期のサクラを歌うことにも、
きっとひとの中に響きやすく溶けやすい、意味がある。



花火。

リリーさん×宮崎あおいでひっかかっただけだったが、

思わず足を止める、いい曲だったので。


               


広沢タダシ「花火」。


ずいぶん春めき始めているが、冬花火。

まだぎりぎり間に合うかも。

花粉症のかたも今シーズン最後の冬花火するなら、マスク装着は、

忘れていいのかも。


そんな春めき始めた空も醸すいい空気を含んだ、すてきな香りのする曲だ。


1001コめ。

やれやれ、また反則CMである。販促CMだが、反則。



                     

ややオンチなのも、味がある。

2月のイメージ曲として素人広告批評が持ち上げた、
The Blue Hearts「1000のバイオリン」ではなく、
オーケストラver. なのでもう一方の「1001のバイオリン」を歌っているのは偶然だが。

ただ、「earth  music & ecology」とだけ言って、誰に、なにを伝えたいのかわからない。

たとえ、黒柳徹子ばりの平和大使ばりの存在感をもつ宮崎あおいをモチーフにしていても、だ。

新聞広告などで三菱のイメージキャラクターであることは知っていたが、
「MITSUBISHI」の文字さえ、出てこない。
「EARTH MUSIC & ECOLOGY」とだけ言われても...というのがふつうだろう。

アパレルメーカーの「クロスカンパニー」が展開するファッションブランドのCMとのこと。


ただ、なにを広告しているのか分からなく、
宮韻△いのキャラクターだけに頼った狙いCMのつもりだったのなら、
とんだお笑い草ではなかろうか。




3月6日。


知る人ぞ知るスニーカーが、今日発売される。

偶然にも、うちの母親の誕生日とかぶるのだが。


New Balance  M1300。

       
 これこそ、広告の産物のひとつといえる。


懐かしいエピソードをひとつあげれば、
約10年前、このスニーカーに一目惚れした高校生の青年は、
当時「1回」復刻したこのニューバランス M1300を求めて数多、様々なショップを訪ねて、
このスニーカーを探し回った。

どうしても見つからない。

当時27,000円もする定価ながら、
そのシンプルなデザイン、
なにより、
ラルフ・ローレンがこよなく愛し、絶賛した履き心地
というキャッチフレーズが、激しく物欲を煽ったからだ。

どうしても見つからなくて業を煮やした青年は、
ニューバランス本社に便箋4枚以上にも及ぶ手紙を送る。

正直、消費者側からの勝手な苦情もこもったリクエストだ。

それに対し、ニューバランス社は誠意を持って手紙を以って返信をしてくれる。

そのような熱い想いをM1300に抱いてくれてありがとう、と。


そしてその数年後、発売当時人気を博したといえど、
普通「1回」復刻したら十分なスニーカー市場、

New Balance M1300。 異例の2回目の完全復刻を遂げる。


当時いただいた手紙はまだ実家にある。


妄想かもしれないが、自分が差しだした手紙が、ニューバランス社の気持ちを動かしたような
感覚は、ある。


履いたことのない自分が、なにより惹かれたのは、
雲を歩くような、最上の履き心地」と謳われたそのスニーカーの質。
そして、それを気取らないシンプルなデザイン。

それを象徴するのが、当時雑誌で散々みた、
破格ながらも、
「ラルフ・ローレンが絶賛した」というそのキャッチフレーズだ。


2000年に2度目の復刻をした後、M1300は、2005年に3度目、
そしてこの2010年、4度目の復刻を果たす。


こんなに愛されるスニーカーもあるだろうか。

傑作は愛されるべきだ。それも、深く、永く。

永久に使い続けられるものなんて、おそらくそんなにない。

でも、愛されるからにはニーズに応え、メーカーも作りつづけていってほしい、と強く願う。


たぶんこうエントリーを書き込んでいる間も、表参道あたりのニューバランス東京前では、
M1300を求めるひとたちが軒を連ね、今日の開店を今か今かと並んで待っているのだろう。

きっと、広告だけではない只ならない魅力が、ファンをうならせるのだ。

ちなみに、僕は、今回、買えるのなら買わせていただきたいと、思う。


気になる方はこのアイコンをポチっとどうぞ。


美人すぎ。

またまた「美人すぎ」な方が現れたそうで。
確かに美人さんです。涼 風花(りょう ふうか)さんとお読みするのかな。

ひとしきりに自分が思うのは、この人がフィーチャーされることで、
書道界といった界隈が変に侵されることなく、発展していってほしいなということ。


     

ただ、美人「すぎ」という言い方もなんだか若干、いや結構な毒があって。

議員の藤川さんであるとか、バイオリニストの宮本さんであるとかが、
本来美人なひとが皆無であろうと思われる市議会やクラシック音楽界に、

突如「ポッ」と、

タンポポのように、たとえ一株であったとしても十分に華を持って咲く花は
良くも悪くも目立ってしまう。

実際、「そういった」面で目新しいから。

スキャンダラスに掻き立てたい輩がもう出だしている。


この方を特別応援するわけでも、強く注目するわけでもないが、
彼女をとりまく環境が、急に変なかたちで侵されないことをお祈りしておこう。


字は体を表す、というが武田双雲さんのように新たなフォントを多く作り出してもらいたいものだ。

デザイン云々とコラボレーションしていくのもこれから高まっていくだろう「お熱」が
いい感じに穏やかになったときであろう。

それにしても、美人「すぎ」という揶揄り方はどうかと思う。


ひとつ前のエントリーにもあるように、
「大切なことは、目に見えない」のだ。


いいうた。

正式なMVができたようで。
2月のに続き、2度目の広告。


 


植村花菜 「トイレの神様」。


「トイレには それはそれはきれいな女神さまがいるんやで」

「だから毎日きれいにしたら 女神さまみたいに べっぴんさんになれるんやで」


星の王子様はいいました。
「大切なものは目に見えないんだよ。」


女神さまも実際に目に見えるわけではない。

ただ、「見えない」女神さまを思い、自分をべっぴんさんに磨き上げることはできる。

べっぴんさんになっても、その容姿がきれいだと言いたいのではなく、
あくまで目に見えない部分がきれいに磨かれているさまをいうのだと。

それも、毎日、ぬかりなく。


トイレという場所は、人の要らない部分を排泄する箇所。

そこを毎日丁寧に、やさしさを持って尽くすということは、ひとがなかなかできない上、
そういう「女神さま」みたいなべっぴんさんはそんなに多くはない、
ということ。


唯一無二。

オリジナル。

誰もやっていないことをやる。


言葉に出すことは簡単だが、こういうことにこそ気持ちを尽くしてやっていくのが大切。

と言ってくれているわけだ。きっと。

目に見えない歌であるとか、言葉、というもので。


ヒットしてほしい、というより、多くの人に聞いてもらいたい、気づいてもらいたい。

この「いい」うたを通して。





3がつ2。

もうひとつの。お約束。
   
    


シンクロ。


立ち止まる君の影  大きな雲の影に飲みこまれた
かくれた陽が また覗くまで  君は歩き出せないでいる

差し出した僕の手を  ためらいがちに見つめている
君の指がふれるまで 僕もただ立ち尽くしていた

僕ら手をつないだ  もう見失わないように
置き去りの街の中で  ひとつ確かなもの
この手のぬくもりだけで  僕ら  歩き出せるんだよ

踏み出した足元に  夕立がその始まりを落とした
今 雫はねのけるように 景色まで熱を帯び始めたんだ

僕ら手をつないで  雨の中を駆け出すよ
加速する街の中で  まだ見えないものも
互いが目に映るなら  僕ら  映し出せるはず

君のその胸の鼓動と  僕の胸のざわめきが
響いて  響き合って  同じように震えあって
まるで同じもののように  シンクロするよ

僕ら手をつないで  雨の中を駆け出すよ
降り注ぐ冷たさも  もう怖くはないんだよ
僕ら重なり合うから  二人で  さぁ 行こうよ



こうやって歌詞をコピペせずに手打ちすることに意味がきっとあって。

彼がメロディにのっけて歌っていることを耳で感じるというより、
実際に言葉の感触を手触りでこう、反芻するやりかたであるだろうから。


コピーライターが「詩力」を身につける近道は名コピーばかりを写経するのではなく、
いろんな音楽人たちの歌詞に「その手で」触れてみることだ。


彼の声が本当に、鋼と硝子でできた声かどうかは知ったところではないが、

秦坊の声は、声色は、心地よく、
風と、季節に溶ける。

そこは無風じゃなくて、常に風は吹いているんだが、

なにか自分でも意識していない、光と影の境目にあるようなものを
自然と絡めて、そこ一帯をなんだか心地よくしているような気に、させてくれる。

そう表現したくなるそんな歌声。


気になる、つい気になってしまう、風と季節に溶けた声。



シンクロ。


数年前、自分はこの楽曲を地元のFMのパワープレイから知った。

感謝してます。FMとやま。


寒いのは、きっとどんどん気のせいになってくるはずのこの時期。


受験生、もう一息、だ。


ちなみに明日、偶然にも秦坊こと秦基博のライヴアルバム、
が発売である。

秦坊のライヴの味わいは、日々変わっていくはずの、「音」そのものにある。
あなた自身がそこに溶けてもらえればミュージシャン冥利に尽きるというやつだろう。


これがおいしい告知広告にもなればいいのだが。



サンガツ。

月初めのお約束。


      

勢いづけたい2010年なので、3月だがはやくも、これを。



栄光に向って走る あの列車に乗っていこう 
裸足のままで飛び出して あの列車に乗っていこう 
弱いもの達が夕暮れ さらに弱いものをたたく 
その音が響き渡れば ブルースは加速して行く 

見えない自由が欲しくて 
見えない銃で撃ちまくる 
本当の声を聞かせておくれよ 

此処は天国じゃないんだ かといって地獄でもない 
良い奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもない 
ロマンチックな星空に あなたを抱きしめていたい 
南風に吹かれながら シュールな夢を見ていたい 

えない自由が欲しくて 
見えない銃で撃ちまくる 
本当の声を聞かせておくれよ 
 
Train-Train 走ってゆく 
Train-Train 何処までも 
Train-Train 走ってゆく 
Train-Train 何処までも 

世界中に定められた どんな記念日なんかより 
あなたが生きている今日は どんなに素晴らしいだろう 
世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより 
あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう 

見えない自由が欲しくて 
見えない銃で撃ちまくる 
当の声を聞かせておくれよ 

Train-Train 走ってゆく 
Train-Train 何処までも 
Train-Train 走ってゆく 
Train-Train 何処までも 
Train-Train 走ってゆく 
Train-Train 何処までも 
Train-Train 走ってゆく 
Train-Train 何処までも 

栄光に向って走る あの列車に乗っていこう 
裸足のままで飛び出して あの列車に乗っていこう 
土砂降りの雨の痛みを 傘もささず走っていく 
やらしさも汚らしさも むき出しにして走ってく 

聖者になんてなれないよ だけど生きてる方が良い 
だから僕は歌うんだよ 精一杯でかい声で 

見えない自由が欲しくて 
見えない銃で撃ちまくる 
本当の声を聞かせておくれよ 

Train-Train 走ってゆく 
Train-Train 何処までも 
Train-Train 走ってゆく 
Train-Train 何処までも 
Train-Train 走ってゆく 
Train-Train 何処までも 
Train-Train 走ってゆく 
Train-Train 何処までも 



個人的に、この歌の中の「弱い者たちが夕暮れ さらに弱いものをたたく」
に、結構思いを巡らせていた時期があった。


「弱い」ってなんだろう。

いじめなどの側面を端的にたとえた表現なのだろうが、
たたかれる「弱い者」は本当に弱いのか、
それとも??


なんて思ったりもして。


自由は、どんなに技術が発達しても「見えることは」きっとない。

自由であるふるまいはみえることがあっても。


この言葉の節々に、物心ついたときから、

ずっとジブンを奮い立たせてくれる深さがあって、


追いつきたくても追いつけない速さと大きさで常に一定の間隔を保ってくれていたのが、
この楽曲であった。


いまも変わらない。

ずっと変わらない。

結成から25年、解散から15年。

変わったのは、僕のほうだろうか。



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