例により。
「やわらかな午後に遅い朝食を」。
なんとも和やかな、タイトルである。
休日、平日問わず、こんな日を贅沢とでもいうのだろうかとも思う。
ただ、贅沢なのではなくて、そのゆったりとした時間から始まるその瞬間からの
たおやかな広がりを、
まるでふんわりとタオルのように歌い上げてくれているようにも感じる。
そのタオルもいい感じの洗いざらしのようなくたびれ感としなやかさがあって。
「いつもの日常」に袖を通すのではなく、また密やかな期待と希望を持って
また日々に臨む正午ちょいすぎ、といった感じだろうか。
その『希望』が、文字の通り、「うすめた望み」だとしても。
「しなやかに、僕は行くんだろ?」と自分に言い聞かせるように。
4月は始まった。
あえてエイプリルフールは何もしなかった。
広告の日だと解釈はしていたけれども。
FAKEのない日々を、天の邪鬼でない面持ちで、臨みたいとも思うわけである。
人は天の邪鬼な、ズルい構え方もできる。
何でも斜に構えるありかた。
でもそうじゃなくて。。。。
4月。ゆっくりになるか、うまく上昇気流にのれるか分からないにしても、
「やり方ってあるよ。」と背中を押してくれているように感じる。
この曲に。
歌詞を最後に読んでいただこう。
やわらかな午後に 僕は遅い朝食を
ひとかけらのパンとコーヒーで
思い描いていた僕は 今ここにはいなくて
ただ けだるさ...繭の様にカラダを包んでいるんだ
この所 崩れがちだった空にも
滅入ってく理由はあるんだけど
何より余りに僕が変われないでいたこと
それに慣れてた自分が嫌だったんだ
テーブルに落ちた午後の陽射しは
手のひらでそっと触れると暖かくて
冷めてしまった僕の情熱を温めるには
それだけで十分な気がした
Ah ふっと息を吐いて コーヒーの中の自分を見るんだ
Ah 何かを始めるのに遅すぎるなんてないよね
やわらかな午後に 僕は遅い朝食を
飲みかけのコーヒーは
まるで これからも僕についてまわる様な
臆病な苦い後味を 喉の奥に残すけど
やがて潤む西の空の向こうに
たどり着ける答えがあるかも知れないね
だとしたら 明日吹く風の中に
一人僕は迷わず行けるのかな
Ah 例えばドアはいつでも 僕の前に開いていたんだろう
Ah でも目を背けたまま怯えてたのは 自分なんだよ
Ah 光の午後に 今までの僕を脱ぎ捨てられたら
Ah 何かを始めるのに遅すぎるなんてないから