世界のまん中とは、一体どこのことを指すのだろう。
やはり、各々の「自分」がいま座しているところであるのだろう。
いまの自分を一生懸命にやれないのに、
夢なんて、
理想なんて、
語っている場合じゃない。
「自分」とは『自らの分け前』と書く。
自分というやつを、ひとつの器とするなら、
どれだけ注ぎ込まれ、周りの器に注ぎ込んできただろう。
その前に、『自らの』であるから、
自らが充てた何杯か分の水とどう向き合ってきただろうか。
時に沸騰させ、
時に減らし、
時に目標とともに増やし、
その器は、錆び付いてはいないか?
何製かはその人次第。
この世界のまん中は、自分がどこに行こうが、
何をしようが決して揺るがない。
日々、変わるように揺らぐのは『自らの分け前』という器、ただそれだけ。
生きているか?